SNSで「信用」を作るには、カッコつけるのをやめて、ケツを降ることが肝心
わからないことがわからないと言える人が強くなる時代。
SNSを見ていると、すごい人ばかりに見える。
毎日学びを発信している人。
実績を並べる人。
数字を見せる人。
もちろん、それは努力の結果だ。
でも、その投稿だけを見続けていると、いつの間にかこんな勘違いをしてしまう。
「SNSでは、何でも知っている人にならなきゃいけない」
わたしも昔はそう思っていた。
だから知らないことがあっても調べたふりをした。
自信がなくても、自信があるように書いた。
でも、それで増えたのは信用ではなく、疲労だった。
信用は、知識の量ではない
信用とは何だろう。
知識量だろうか。
フォロワー数だろうか。
実績だろうか。
もちろん、それらも一つの指標ではある。
でも、人が本当に安心する瞬間は少し違う。
それは、
「この人は分からないことを誤魔化さない人だ」
そう感じた時だ。
知らないことを知らないと言える。
間違えたら修正する。
必要なら人に聞く。
実は、この姿勢のほうが圧倒的に信用される。
信用は、知識の量ではない
信用とは何だろう。
知識量だろうか。
フォロワー数だろうか。
実績だろうか。
もちろん、それらも一つの指標ではある。
でも、人が本当に安心する瞬間は少し違う。
それは、
「この人は分からないことを誤魔化さない人だ」
そう感じた時だ。
知らないことを知らないと言える。
間違えたら修正する。
必要なら人に聞く。
実は、この姿勢のほうが圧倒的に信用される。
ケツを降ろす
わたしは、この言葉が好きだ。
ケツを降ろす。
つまり、
椅子に座って、
人の話を聞いて、
手を動かして、
失敗して、
また座る。
地味だ。
映えない。
でも信用は、この時間からしか生まれない。
SNSで目立つ投稿を作る時間より、
一冊の本を読む時間。
一人の人と話す時間。
実際にサービスを作る時間。
その積み重ねが、あとから投稿になる。
順番が逆ではない。
カッコ悪さを出せる人は強い
最近思う。
完璧な人より、
途中経過を見せる人のほうが応援したくなる。
「今これを勉強しています。」
「ここで詰まりました。」
「この考えは間違っていました。」
そんな投稿には、人間味がある。
人は正解に集まることもある。
でも、共感は未完成の人に集まる。
AI時代だからこそ
AIは答えを出してくれる。
だからこそ、人間に残る価値は何だろう。
それは、
どう考えたか。
どう迷ったか。
何を選んだか。
そこには、その人だけの物語がある。
知識はコピーできる。
経験はコピーできない。
最後に
もし今日、
投稿を書く手が止まっているなら、
無理に賢そうなことを書かなくていい。
「今日は分からなかった。」
その一文でも十分だ。
案外、そういう投稿に救われる人がいる。
信用は、背伸びして作るものじゃない。
ケツを降ろして、積み上げた時間の総量が、あとから信用という名前に変わる。
あとがき
SNSは、自分を大きく見せる場所ではありません。
誰かが安心して近づける距離をつくる場所です。
わたしもまだ、分からないことだらけです。
だから今日も、本を開き、人に聞き、AIに相談し、手を動かしています。
結局いちばん信用されるのは、何でも知っている人ではなく、
分からないことを、ちゃんと分からないと言える人なのかもしれません。




つまりは、生身の自分をそのままモロ出しにしていけば、いずれ信用が積み重なって、人としてケツ実すると言う事ですね?( ´∀`)ニチャア
SNS見て、発信を始めると「盛り」たいというか、このままの自分では何も言えないと思ってしまいますよね
自分が思ってる以上にハリボテは見透かされるものですし、現実と乖離してしんどくなる
できないことはできない
完璧超人はいないですもんね
改めて背中を押してもらいました
努力はする、でも背伸びをしすぎない