格好つけるのをやめたら、人が集まった。ケツから生まれた人の縁。
明るいところに人は集まる。SNSでは不可能だと思っていた「人の輪」をたった1週間で広げた話。
毎度、お騒がせしておりやす!
ケツ印一家(ケツジルシか、ケツインカ迷ってます)
お親分!べべん!
「もちスラ」でござんす!
こんなわたしにも、
「上を目指していた時期」がありやした。
「数字が増えれば、人が集まる」
「数字が増えれば、意見が通る」
「数字が増えれば、金が集まる」
そう思って、
「難しい理論」
「難しい理屈」
「難しい行動」
それを解説しなければ、
「すごい人にはなれないんだ」
だから、
凄そうな肩書をつくり
凄そうな画像をつくり
凄そうな自分を演出していた。
そうすると、noteでは確かに
0-1を達成できたが、
正直、楽しくはなかった。
すごいですね、
頭いいですね、
解像度高いですね
ちょっと前なら嬉しくなっていたような
この言葉たちですら
「虚無」に感じている。
そして、Substackに入ってからも
「かっこいい記事を書かなければ」
と意気込んでいたが
そもそも、かっこいい人生なんか
歩んでないし、
かっこいい自分なんてものは
どこにも存在しなかった。
貧乏だし、
デブだし、
すけべだし、
のんべいだし。
仕事は好きで続けているが
大成しているわけでもない。
だから
やっぱり、偏愛を語るほうが
楽しくていいや!って!
よーし、どうせなら
好きな仕事で起きた
自分がツボったエピソードでもあげよう!
自分の赤裸々なすけべ心との戦いを
出してみよう!
そんな風に思い出して、
「ケツ」
を絡めた記事を出し始めた。
そうしたら、筆が乗る乗る!!
もう、書き始めたら、止まらない。
あーたのしかったー!って
投稿ボタンをポーンと押したら
そこからの1週間で
サブスタの購読者数は
3-4倍に増え。
今やいつメンと言える仲間が
10人近くまで集まっている。
10人あつまると
SNSにコミットしてる人が
集まるもんだから
何かが動き出す予感すらある。
なんとなく、「権威的なものを全部取り払ったら動いてきた」感覚があるし
「人の輪」が広がっているのを感じ、
ケツを震わせている。
その震えから
最近ふと、医療現場で働いていたことのことを
思い出している
精神科で働いたとき
わたしに、わたしの指導係としてとんでもねえ
レジェンド作業療法士がやってきた。
その人は日本に精神科デイケアができたとき、
立ち上げにかかわったりしていた人物で
日本の精神科治療に多大なる貢献をした
「無名の巨人」
師匠の教え子には、わたしたちが教科書として呼んでいた著者などがいて
彼らの研究のほとんどを添削し、
わたしの師匠の言葉がほとんど、教科書に反映されているという
でも、師匠の名前は全然知らなくて、誰だろうこのおじさんは?
と思っていた。
当時、管理栄養士として赴任してきた20代の女子にも
鼻を伸ばし、銀行員のお姉ちゃんとも今度ご飯行こうよと
ナンパ三昧。当時64歳だぜ?元気すぎだろw
そんな師匠のすごさは、学会に呼ばれた時に初めてわかる
ドクターたちが、ペコペコしながら酒を注ぎに来るのだ。
わかるか?
ドクターたちが、作業療法士に酒を注ぎに来るのだ。
先生元気でしたか?!と親しみを込めて
日本精神医学会でも、精神鑑定などを担当してる先生たちがだ。
その光景を見てわたしは、
「すげえ、おっちゃんだったんだ」と改めて思ったw
ただ、師匠が本当にすごいのはそんなところではなく
患者様や私のようなペーペーに
教えようとするとき
本当に腰が低くて、
「わからないことがわからない」を察する能力と
「質問していい空気」の作り方がめちゃくちゃうまい。
気が付いたら師匠にあれやらこれやら、質問してしまっているのだ。
そして、わたしはその能力が気になり
師匠に
なんでそんなに、偉そうじゃないの?って
くそバカな質問をしたことがある。
でも、師匠は
「権威なんてものは、患者さんの前でつかうときは
問診の時と、お薬を出すとき、療法のときだけでいいんだぞ」
「そんなことよりも、白衣を脱いでから、一人の人間として
患者様たちと会話をしてみてごらんよ。
教科書では知れないことを、患者様が教えてくれるんだよ
えらいのは、教科書を書いたあいつではなくて
病気のことを教えてくれる患者様なんだからね」
そんなことを、さらっと言ってしまうのだ。
たしかに、患者様と面接をしたりする際は
みんな緊張して、いい子ちゃんを装うが
わたしが帰り際、普段着で談話室などを覗きに行くと
ねえねえ、先生、ちょっとこっちきて
となぞのタバコ集会につれていかれて
ここだけの話なんだけど
と面白い話をたくさん聞かせてくれた。
SNSを見ていて思うのは
なぜだか、権威をまといたがっている人が多くいて
フォロワー数や
購読者数
稼いだ金額などを
どんどん鎧としてまとっているが
顔を見たり声を聴くと
「ものすごく疲れを感じてしまうことがある」
ああ、なんか
権威が邪魔して
本当の自分を抑え込んでしまって
苦しんでるんだなというのがなんとなくわかってしまう。
だから、せっかく万垢をつくっても
1年以内で活動を停止する人が後を絶たないのだろう。
いいですか?
権威というのは
誰かにきちんとした情報を伝えたいときには必要だけど
SNSをやってるからといって
すべての時間をその「作った権威をまとった自分」にならなくていいんだよ。
そういうメリハリをつけて
息を抜いて
ケツを振ってれば
もっといいたいこと、
もっと書きたいこと
もっと伝えたいことが
必ず出てくる
今まで、ケツを振れなんて言うバカはどこにもいなかったと思う。
でも、わたしが先陣を切って
バカをやるので
それを見て笑い転げて、泣いて、怒って
もっと、人間らしいものを
このだだっ広い世界に、さらしていこうじゃないですか!?
そしたらきっと、
明るい灯がともり、そこには
笑いあい、苦しみあい、泣きあえる
そんなかけがえのない「仲間」が集まる。
かもしれない
ケツ振ってりゃ笑顔が生まれやす
笑顔が生まれりゃ縁が生まれやす
縁が生まれりゃ人情が生まれやす
さあさあ、皆々様も
重たい鎧は脱ぎ捨てて!




本当にすごい人ほど権威性ひけらかさないで目線を合わせてくださるんんですよね…
鎧を纏うより、裸で勝負していきたいです🍑
師匠のお話、とても印象的でした!
鎧を脱いだ発信の方が、その人らしさが伝わる。ケツの力、意外と深いっ🍑✨