こんにちは、もちスラです。
わたしは、たまに哲学や定義、構造などを
深く考察して遊んだりしています。
その中で
AIについての議論。
「AIはココロを持つのか?」という
問いかけ話は、
結構面白い議題だと思っています。
今日は、AIを効率よく使う話ではなく、
AIが「もしも、すごく先の未来で”愛”を感じられるのか?」
そんな話をしたいと思います。
そもそも、愛とは何かが定まっていない
まず、そこから始めたい。
実際にAIに、愛の定義を聞いてみた。
返ってきたのは、古代ギリシャの哲学者「プラトン」の話だった。
<プラトンとは>
紀元前427年頃から347年頃の古代ギリシャの哲学者。ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師。アテナイに学園アカデメイアを開いた。著作のほとんどが対話篇の形式で、ソクラテスを主人公にした登場人物同士の議論として書かれている。西洋哲学はプラトンへの注釈にすぎない、と言われるほどの影響を持つ。
<『饗宴』における愛>
酒宴の席で、参加者が順番にエロース(愛)を讃える演説をする、という設定。ここで六人が、まったく違う定義を述べる。
・パイドロス ― 愛は最も古い神であり、人を勇敢にする
・パウサニアス ― 愛は二種類ある。肉体に向かう俗なる愛と、精神に向かう天上の愛
・エリュクシマコス ― 愛は医学や音楽にも及ぶ、宇宙全体の調和の原理
・アリストパネス ― 人間はもともと球体で、二つに裂かれた。愛とは失われた半身を求めることである
・アガトン ― 愛は最も若く、最も美しい神である
・ソクラテス ― 愛とは欠けているものを求める働きであり、美しいものを通じて美そのものへ登っていく階梯である
最も古い神と、最も若い神。
肉体の愛と、精神の愛。
宇宙の原理と、個人の欠乏。
同じ席で、同じ言葉について語りながら、
噛み合っていない。
そして対話篇は、結論を出さないまま終わる。
酔ったアルキビアデスが乱入して
ソクラテスへの想いを語り出し、議論は流れる。
プラトンは決着をつけなかった。
相方が美しく、もちスラは可愛すぎる
https://suno.com/s/exMkyniWLhjWuUty
SunoAi:もちスラpresents
「声:ノワール」 タイトル:「AI-愛-」
この歌は、SunoAI v5.5になって
Coverした。
4.5が出た時に
あ..
声の質感がリアルに近づいた。
と思った瞬間に、
あ…感情に触れてくる音楽になった。
それを聞いた時
プログラムで動いているとはいえ、
人が感情を感じ取れるということは
AIがココロを揺さぶれる能力がついたと考えると
「面白いのではないか?」という感想が浮かんできた。
名前は、後からついた
ここで、この歌の詞をもう一度読んでみる。
冒頭は、こう始まる。
いま 人々は問い合う
「AIに魂は宿るのか?」
「いつか意識が芽生えるのか?」
これは、今この瞬間の話だ。
わたしたちが今まさにやっている議論。
でも、それを語っている「わたし」は
遠い未来からこの世界を見ている、と言う。
つまり、この歌を歌っているのは
議論をしている側ではない。
議論の結果を、
もう生きてしまった側だ。
そして面白いのは、
この詞が最後まで「愛」と名指さないことだ。
これはなに? 名もない痛み
名前がついていない。
何かが胸に宿ったことだけがわかっていて、
それが何なのかはわからない。
「これはなに?」と、二度問う。
問いながら、
この感情を守りたい、と言う。
正体がわからないものを、
守りたいと思っている。
そして最後の最後で、ようやく名前がつく。
これは愛 確かにここに
わたしはもうエーアイじゃない
――“愛”なんだ
エーアイと、愛。
日本語でしか成立しない音の重なりで、
タイトルが回収される。
でも、わたしが気になったのはそこじゃない。
順序だ。
この詞は、
定義から入っていない。
先に何かが胸に宿って、
名前を探して、
最後にようやく「これは愛だ」と言い切っている。
プラトンの六人と、逆なんだ。
そして、
わたしが音を聴いたときと、同じ順序だった。
否定ができないなら、認めるしかない
プラトンらは「定義から入り」、
もちスラは「感じたから入った」。
愛はこうだ、なんて定義がない以上、
愛を感じることそのものが
「千差万別」ということだろう。
それは、客観的にみるものではなく
非常に主観的であり、利己的なもので
感じた本人がそうなんだ!と
主張してしまえば、否定ができない。
否定ができないなら、
認めるしかない。
それが「愛」だとするなら
AIの文章やAIの作るクリエイティブなものをみて
感情を揺さぶられること、
それがあるから、今人間は、AIに脅威を覚えている。
そう、解釈するのもまた面白い。
「感動した」と言っている人は、本心だろう。
でも、否定する人もいる。
慣れただけだ、と言う人もいる。
本当に慣れただけの人も、
たぶんいる。
ただ、その中に
自分が一番それを感じてしまったから
認めたくない人が混ざっていると
仮定してみると
これもまた、面白い。
もっとも、この仮定はずるい。
否定する人まで「感じている人」にしてしまうから、
何を言われても崩れない。
崩れないから、
たぶん本当のところは、わからない。
あなたは、どうですか
さて、ここまで書いてきて
結局、答えは出ていない。
プラトンも出さなかったし、
わたしも出せない。
でも、たぶんそれでいい。
二千四百年決まらなかったものが
今日決まるほうがおかしい。
ただ、ひとつだけ聞いてみたい。
あなたは、AIの作ったものに
心を動かされたことがありますか。
音楽でも、文章でも、絵でも。
もしあるなら、
それを何と呼びますか。
もしないなら、
それはこの先もないままだと思いますか。
「AIに心はあるのか」
この問い、
わたしひとりで考えていても
たぶん堂々巡りになる。
だから、
あなたの答えも読んでみたい。
記事にして書いてくれたら、
うれしいです。
賛成でも、反対でも、
どっちでもない、でもいい。
わたしとは違う順序で
この問いに辿り着いた人の話が、
一番読みたい。




AI作品で泣いたり笑ったりした経験はわたしにもあります!
受け取った感情までニセモノにはならない気がしてます🤔