ケツ論!「界隈」と口にした瞬間、敵ができる
〜団ケツがかたくなるほど、ケツ局その集団は揉みほぐせなくなる〜
いま私は「もちもちの唄」という取り組みをしている。
歌詞も曲もすべてAIでつくり、その過程で「つくった人間が何を思っていたのか」を作文として残す。
うまくいった話だけでなく、削ったもの、捨てた案も出すように指示している。
残骸のほうに、その人の本当が出るからだ。
サブスタックにはAIで何かをつくっている人がたくさんいる。
曲、動画、記事、そして仕事そのもの。
ただ、その景色を眺めていて、ひとつ引っかかることがある。
「囲い込み」や「界隈」という言葉を、やたら使いたがる人が増えてきた。
自分たちが集まっていること自体を、善か悪かで切り分けようとする。タイムラインを見ていて少し悲しくなった。それでこれを書いている。
なお、
この先ところどころ
言葉のケツが
変になっているが、
毎日人のケツを揉んでいる商売の職業病だと思って読み流してほしい。
残骸を見せられない人の話は、だいたい信用しなくていい。
🍑人は、諦めたものを取りに集団へ行く
現実の世界でいったん諦めたことが、そこでなら実現できるかもしれない。
そういう集団があると聞けば楽しそうだと思うし、
中の情報を取りにいきたくなる。ごく自然な話だ。
ただ、入ってみると意見が食い違う。思想が違う。
当たり前である。
コミュニティはすでに出来上がっていて、
その中には出来上がった共通言語がある。
後から来た自分に馴染むはずがない。
「いいなと思って入ったら、そんなに良くなかった」は相当ある。
でもケツ局、
多くの場合それは、こちらが過度に期待していただけだ。
期待は、相手ではなく自分が勝手に膨らませた借金である。
🍑人が増えれば、必ず派閥ができる
私も以前、あるコミュニティに属していた。
立ち上げの頃は全員が創業メンバーのようなもので、
クリエイターエコノミーは世の中を変えるんじゃないかと、
目をキラキラさせてやっていた。
けれど人が100人、1000人、1万人と増えれば、必ず派閥ができる。
意見が合う人たちの派閥だ。合わない人はよそでぐちぐち言い始める。
それがいいか悪いかと問われれば、しょうがない話だと答えるしかない。
集団は出来上がった瞬間から
「私たちのこの集団こそが世の中を変えている」と
思いたくなるものだからだ。
思い入れが強いほど、他所のやっていることが悪に見えてくる。
向こうから見れば、悪はこちらである。
どちらが悪いと言い始めれば喧嘩になるから、平行線のまま交わらずに進む。
そちらさんはそちらさんで頑張ってね、でも私はそっちには行かないけどね。
日本人のコミュニティあるあるだ。
そして厄介なことに、団ケツというやつは、外に敵を置いた時が一番かたくなる。
かたくなったケツは、揉んでもほぐれない。
正義を握った瞬間、人は自動的に誰かの悪になる。
🍑3500円のマッサージ屋で起きていること
これは商売とまったく同じ構造をしている。
うちは60分3500円で揉みほぐしを提供している。新人にも技術を教え込むから、スタッフは確実にうまくなる。サービスは本当に良くなったと思う。だが「いいよ」と言ってくれているのは、来てくれた人だけだ。まだ来ていない人にとって、そこは未知の世界でしかない。
あなたがそんなに言うなら私も、と来てくれる。そして「思ってたのと違う」となる。常連さんは長く通ってくれていて、こちらもその人の扱いが分かっているから質が上がるのであって、初回で同じものは出せない。しかもうちは揉みほぐしの専門店だから、ストレッチはスタッフによってまちまちだ。人づてに聞いた話に、そこまでの中身は乗らない。
ケツ果、「あの人は特別で、私は特別じゃないのか」という話になる。それは店側にもコントロールできないし、お客様側にもできない。人が来れば来るほど、必ず起きる。
口コミは、期待だけを運んで前提を置いてくる。
🍑盛り下がったときにこそ、集団は仕事をする
盛り上がっている時期はいい。
私たちは周りと違ってこんな素晴らしいことをやっている、と思える。
問題はその後だ。
そして「界隈」という話が出てくるのは、決まって盛り下がってきた時である。
本来、盛り下がった時にこそコミュニティは力を発揮しないといけない。
私が一番気をつけているのはここだ。
運営が絡みすぎれば、それはコミュニケーションの誘導になる。
人は誘導されると疲れる。だから黙っていてもいい、喋りたい時に喋っていい、という状態をずっと保っている。
発言が減ると熱量が消えたように見える。
だが実際は、私なんかがコメントしていいのかしらとか、いま子どもがそばにいるからチャットを始められないとか、みんな悩みながら属している。
だったら発言のない期間は、これまで起こったことを整理する時間に充てればいい。
とはいえ焦る。
元気がなくなったな、と悲しくもなる。
だが
ケツ束が
試されるのは、盛り上がっている時ではない。冷えてからだ。
その時に支えてくれるメンバーは絶対にいる。
忘れてはいけないのはそこだけだ。
外野はやいのやいの言うし、出ていった人が別の場所で古巣を敵のように扱うこともある。
悲しいが、何度も見た光景でもある。
かつての私もそうだった。中に入れば汚いところは見える。人間が集まっているのだから当然だ。
熱があるうちは誰でも運営できる。冷めてからが運営である。
🍑稼がない、という選択が界隈を潰す
言いにくいことも書く。
儲けるか儲けないかは自由だ。
けれど、その界隈がまったく稼ぎを出さない状態は、界隈そのものを潰しかねない。
創作はタダでもできる。金をかけなくてもクリエイティブは成立する。
だが創作を続けるには金がかかる。
稼ぎを出さない集団は、能力はあるのに体力がない状態に必ず陥る。「嫌儲」——嫌う儲けと書くあの態度は、思想としては分かる。
ではどうやって生活するのか。
生活できない人を量産する構造の上に、長続きするクリエイティビティは乗らない。
いま起きているのはそれだ。
去年までAIではダサいLPしか作れなかったのに、今はちゃんと作れてしまう。
10万円以上の仕事だったものが5万円になり、1万円になり、タダになる。
すると稼げる人がいなくなる。
稼いで次のイノベーションに投資する、という回路が切れる。
単価の下落は、次の作り手が座る椅子に直ケツしている。
NFTの業界で散々見た。
デジタルアートが民主化され、ハードルが下がり、作品量は爆発的に増えた。
だが売れる人は本当に限られていた。楽しいからやる、はまったく構わない。
ただ、体力がどこまで続くのかは常に問われる。
優れた作家はたいてい、貧乏な時期に描いて、書いて、個展を開き、人を集め、自分の手で売ってきた人たちだ。
その人たちが積み上げた「創作を愛でることには価値がある」という土台を、AIを使う側はいま無価値化しにいっている。私はその自覚を持っている。だから身近な少人数には無料で渡すが、ツールはちゃんと売れるという実績を作らないといけないと思っている。そうしないとコードを書く人が食いっぱぐれる。それも良くない。
タダで配ることは優しさではなく、次の作り手の椅子を蹴ることがある。
🍑界隈に見えたなら、それは思想が違うだけだ
ケツ論から言う。
「なんとか界隈」と名指しした瞬間、
「うちは差別化する」と言い始めた瞬間、
自分以外のコミュニティを敵に回している。
相手が敵になったのではない。自分から敵になっている。
だから、界隈に見えるなと思ったその瞬間にこそ、
そこには自分とただ思想が違うだけの世界があるのだ、
と思い直さないといけない。
仲良くしていた人がそういう発言をしているのを見ると、
私はやはり悲しくなる。私はそんなつもりで場を作ったことは一度もない。
コミュニティに属するとは、
思想が重なり合っているグループにたまたま居る、というだけのことだ。
それ以外は合わないだけであって、あそこはいい、ここは駄目だと線を引き始めると敵ができる。
そう覚えておけば、集団に属することはもっと楽になると思う。
だって、仲良くすればいいだけなのだから。
周りを見なくていい。
仲のいい奴らと、袋とじを一緒に開けるみたいな顔で、キ
ャッキャとやっていればいい。
誰かを傷つけるつもりはない。
これは私自身への内省であり、自分こそ気をつけないといけないことだから、記録として残しておく。ケツ局、自分のケツは自分で拭くしかないのである。




界隈より人を見る視点、大事っ!
合う・合わないはあって当然ですよね。
違いを敵にしないだけで、心地いい縁は長く育ってくと思ってます。
もちスラさんは、おしり🍑
みーしゃんは、みーしゃん🥰
私の中のケツ論、全て自分次第。みんな自分が見たいように世界を見てる。どうせならポジティブに世界を見よう、と思いました。