チームに嫌われた。だけど、チームを作るのが好きになった。
わたしのバスケとこころの話
こんちわ!もちスラです。
前回は、バスケが上手くなりすぎて叩かれた、という苦い話を書きました。
今日はその続きです。
「チームに嫌われたわたしが、チームを作るのが大好きになった話」を、
しっかりやっていきます。
バスケは、わたしの人生を作った一番大きな要素だと思っています。
ハマって、努力して、結果を出して、楽しかった。
「努力すれば報われるんだ」という成功体験も、
「ちゃんとやらなきゃ嫌われるんだ」という失敗も、
ぜんぶバスケが教えてくれました。
上手ければチームに好かれる。 そう思っていたけれど、そうでもないんですよね。
飛び抜けた力があるほど、
試合では頼りになる味方でも、 練習や普段の生活では、
なぜか”脅威”になってしまう。
中学2年から3年へ。
チームの大黒柱にならなきゃいけない時期に、
わたしは膝の手術明けで、思うように動けなくなっていました。
それでもスキルだけは、みんなより頭2つ分は抜けていた。
すると今度は、「サボってるのに上手い」と言われる。
シュートを打つたびに、ボソボソと何かを言われる。
純粋に練習したいだけなのに、練習ができない場所になってしまったんです。
決定的だったのは、先生の一言でした。
わたしの邪魔をしてきた相手を、
先生は「あいつも試合で泣いて、一生懸命やってた」とかばった。
ふざけるな、と思いました。
「こいつらと優勝しても、一緒には笑えない。負けても、一緒には泣けない」
そう言い残して、わたしは中2で、大好きなバスケを辞めました。
でも、辞めてから気づいたことがあります。
わたしは”プレイする”より、”育てる”ほうが好きなのかもしれない、と。
きっかけは後輩でした。
やんちゃな後輩と1対1でぶつかり合ったら、目を輝かせて懐いてくれた。
一緒に練習して、メキメキ上手くなっていく。 その姿が、たまらなく嬉しかったんです。
14歳。バスケを辞めたわたしは、母校のミニバスのコーチになりました。
小学生と2つしか違わない、ちびっこ担当のコーチです。
ここから、わたしの毎日が変わりました。
学校でいじめの言葉を浴びても、もう気にならない。
だって、わたしには待っている生徒がいる。
「早く帰ってコーチをしなきゃ」という使命の前では、
いちいち落ち込んでいる場合じゃなかった。
生徒に示しがつかないからと、授業にもちゃんと出るようになりました。
かっこ悪い背中は、見せられないから。
コーチとして大事にしたのは、成功体験です。
どんなに小さい子でも、下手な子でも、「勝負したい」と言われたら必ず受ける。
そのかわり、その子が勝てるように条件をつけてあげる。
「今のはお前の勝ちだ」を積み重ねると、
子どもたちはどんどん挑戦したくなる。
楽しんで、挑んで、気づけば本当に上手くなっていくんです。
一度、目をかけていた女子キャプテンが、
練習中にふざけて止まらなくなったことがありました。
嫌われるのを覚悟で、わたしは厳しく叱りました。
「今ふざけてるのはお前一人。キャプテンなのに、それでいいの?」 泣かせて、
一度家に帰らせた。 でも、そのあとちゃんと伝えました。
「厳しいことを言うのは、コーチだって嫌なんだ。だからわたしも謝る。
あなたも、みんなに謝ろう」
その日から、その子との関係は驚くほど良くなりました。
素直になって、メキメキ上手くなって
中学を卒業するまで、ずっと会いに来てくれました。
チームを作ってみて、やっと分かったことがあります。
自分がこうしたい、ああしたいは、確かにある。
でもそれを全部むき出しにすると、まわりに迷惑がかかる。
たぶん、昔のわたしがそうだったんですよね。
一生懸命やっていたつもりが、誰かにとっては”脅威”だったのかもしれない。
『スラムダンク』に、こんな意味の言葉があります。
「お前のためにチームがあるんじゃない。チームのために、お前がいるんだ」
選手だった頃のわたしには、
これが分からなかった。
外から、子どもたちを見て、育てて、はじめて腹に落ちた。
上手くなりたい。
その気持ちは、今もあります。
でも今はそれ以上に、「みんなと上手くやりたい」。
チームに嫌われたわたしが、
チームを作るのが好きになった。
ずいぶん遠回りをしたけれど、悪くない道のりだったな、と思っています😄





遠回りも悪くない!
回り道だからこそ見えた景色があるわけで、その景色が見えたから、今のもち兄さんの柔らかい雰囲気があるのかなと感じました。
私も子育てをしていて、昔の「人の目を気にしすぎていた自分」を少しずつ立て直しているように感じることがあります★